2003 あなたの中の因島

◆開催場所◆
芸予文化情報センター(広島・因島)
The 14th. MOON(大阪・大手通)
MANIFESTO(大阪・大手通)
tray(東京・学芸大学前)
GALLERY G(広島・上八丁堀)
福屋 パブリックギャラリー(広島・尾道

 

この作品は因島市市制施行50周年記念イベントで、持込企画で成立した展覧会です。
当時、僕はまだ東京在住でした。
故郷を離れて随分経ち、遠くに行くほど、年を重ねるほど、
故郷を大切に思う気持ちが強くなっていきました。
自分の育った因島の為に、イラストを通じて何か出来ないかと思い、企画しました。
市民の方から思い出の写真とエピソードを募集し、
その中から50周年にちなみ50人の方の思い出をイラストにしました。

募集ポスター

展覧会ポスター

「妹」

昭和43年(1968)
「こっち向いて」「笑って!」ファインダーを覗く父の横で、母と祖父母が私たち二人に語りかけています。写っているのは因島の風景ときれいな海を背に、大 好きな家族に囲まれたとても幸せな姉妹です。この後、間もなくして妹が亡くなり、二人で一緒に写った最後の写真となりました。あの日の素晴らしく楽しかっ た記憶と妹を失った悲しみを思い出すのが嫌で、ずっと閉じたままにしていたアルバムをこの企画を機に開いて見ました。 今でもこの写真を見ると胸が痛むのですが、因島の50年の間に妹がこの地に生まれ育った2年間が確かにあったという証しを残してもらおうと思いました。

 

「児童と共に」

昭和33年(1958)頃
1953年、東生口村、因島と合併。因島市立東生口小学校となる。 1958年(33年)、合併後母校に転任。希望に燃えて初出勤。 かわいい一年生との生活。一年生終了の喜びの顔、顔。新入生のお兄さん、お姉さんになれる笑顔。 現在は54歳のおじさん、おばさん。

 

「香川丸の進水式」

昭和29年(1954)
父が創業して50年。 初代香川丸の進水式の様子です。この船は、生口島から岩城島経由で因島の田熊や土生の港を周航し、多くの人々を乗せて運んできました。今はもちろん、走っ ていませんが、今年、同名の「香川丸」が生口島~岩城島間に就航します。父の創業の想いを受け、創業以来、島の人々の生活を支えてきた船の便。私も大切に していきたいと思います。

 

「原チャリ美男子」

昭和30年(1955)頃
おじいちゃんです。うちのおじいちゃんは、因島で原チャリに乗った第1号です!!  東京在住の頃、俳優にスカウトされたこともある美男子なのです。

 

「『ミス本郷屋』現る!!」

昭和30年(1955)4月頃
因島商店街主催による〔島のまつり〕が行われ、各店から出し物が出て市内を練りまわっていました。当時としては斬新であり、商売人の活気を感じます。

 

「こわい喧嘩御輿」

昭和58年(1983)初夏
けんかみこしが終わって、屋根が壊れたみこしの前で…。こわくてたまらない私とひょうきんな弟、可愛いいとこです。

 

「50年前の因島バス」

昭和28年(1953)
バスも大きくなり、ちょうど市になったばかりでバスに日の丸を立て花でバスを飾り、市民の人が皆着物を着て道中通りをした時のバスです。50年前丁度です。

 

「重井からの花嫁」

昭和62年(1987)5月5日
花 嫁の生家より結婚式場への送迎バスにむかっているところです。仲人さんを先頭に、実家の近くにある酒屋さんの前を通っていきました。道中が結構長くて歩くのが大変でした。でも近所の人や道行く人に声をかけてもらって、とてもうれしかったです。花婿は、花嫁を迎えに行ったり、行列で送迎バスまで歩いて行くこ とに、とてもおどろいたそうです。

 

「瀬戸の花嫁」

昭和35年(1960)12月2日
あの日は雪がチラチラ降って寒い日でした。迎えにきた農船に乗り、大波小波で因島から岩城島へ。 山あり谷ありの人生、知らない町での生活は不安がありましたが、人情味の厚い人ばかり・・・ あれから43年。やさしい夫、子供や孫に囲まれて今、幸せです。

 

後に、イラストと写真とエピソードの載った
一枚に秘めた想いを描くということ(あなたの中の因島)」が出版されることになりました。

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一枚に秘めた想いを描くということ(あなたの中の因島)
著 者 BOOSUKA(ブースカ)
発行者:株式会社 青心社

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